1937年 |
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12月16日、愛知県尾西市(旧中島郡)で、父佐蔵、母たかをの次男として誕生。 |
1948年 |
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11歳 |
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尺八家だった父の影響を受け、箏曲を学び始める。 |
1954年 |
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17歳 |
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高校時代から作曲を手掛け、初めて作品のかたちになった曲は「雪ものがたり」だった。 |
1956年 |
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19歳 |
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東京藝術大学音楽学部邦楽科に入学。 |
1957年 |
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20歳 |
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「水面」を皮切りに、これ以降、楽譜の出版が続く。 |
1959年 |
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22歳 |
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第1回リサイタル。NHKの「今年のホープ」に選ばれ、以降、NHKを中心に現代音楽の演奏を始める。 |
1960年 |
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23歳 |
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東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業。 |
1961年 |
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24歳 |
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東京藝術大学音楽学部専攻科を卒業。初のレコード「琴の幻想」(ビクターレコード)発売。NHKラジオ「邦楽鑑賞会」で放送デビュー。 |
1964年 |
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27歳 |
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尺八奏者の青木静夫(現・鈴慕)、伊藤松博、高野和之、杵屋栄三郎、山本邦山と沢井忠夫で「民族音楽の会」を結成。竹本一恵と結婚。 |
1965年 |
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28歳 |
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赤坂のレストラン・シアター「MIKADO」で演奏するようになり、1年半続いた。 |
1966年 |
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29歳 |
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一恵と初のジョイントリサイタル。内弟子をとり始める。 |
1968年 |
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31歳 |
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初の門下生による勉強会。 |
1969年 |
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32歳 |
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リサイタル「清水脩 箏作品の夕べ」。長野県小諸市で始まった「浅間高原三曲研修会」(1994年まで継続)で、初回以降、たびたび講師を務める。 |
1970年 |
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33歳 |
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武蔵野音大に箏曲副科が創設され、講師を担当。 |
1971年 |
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34歳 |
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「沢井忠夫箏独奏会」で初の芸術祭優秀賞。 |
1972年 |
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35歳 |
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「琴・セバスチャン・バッハ」(RVCレコード)によりRCAレコード奨励賞。ミュンヘンオリンピック芸術展に出演。 |
1973年 |
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36歳 |
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初の自作を集めたレコード「沢井忠夫作品集/風の歌」(東芝)発売。 |
1974年 |
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37歳 |
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リサイタル「沢井忠夫箏・三弦の会」。「沢井箏曲研究会」設立。 |
1975年 |
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38歳 |
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「箏の為の劇場空間」と題してトータル・シアターを試みる(11月19日、新橋ヤクルトホール) |
1976年 |
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39歳 |
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沢井忠夫・一恵ジョイントリサイタル(東京・大阪・博多)。「名古屋フィルハーモニー交響楽団と邦楽器の名手達」(名古屋)で「箏と弦楽合奏の為の一章」初演。 |
1977年 |
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40歳 |
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リサイタル「沢井忠夫 尺八との出会い」で二度目の芸術祭優秀賞。 |
1978年 |
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41歳 |
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沢井忠夫・山本邦山コンサートで初めてのインプロヴィゼーション(即興演奏)を披露。TOKK(東京音楽企画研究所)アンサンブルに加わり、南米、タングルウッド音楽祭、ホノルルで公演。ド・トンヌ・フェスティバル(パリ・武満徹監修)出演。ユーゴスラヴィアでリサイタル。 |
1979年 |
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42歳 |
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「沢井箏曲院」設立。初の沢井忠夫合奏団定期演奏会。ミッデルブルグ現代音楽祭(オランダ)のほか、オランダ7ヶ所でリサイタル。 |
1980年 |
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43歳 |
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フランス国営放送主催でリサイタルを開き、「沢井忠夫 Koto Concerto」(東京・日本青年館)では新日本フィルハーモニー交響楽団と共演。 |
1981年 |
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44歳 |
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アジア作曲家会議に出席し、香港でリサイタル。映画「早池峰の賦」の音楽を録音。日英の文化協会主催「日本音楽の過去と現在」をイギリス各地で公演。「伝統楽器で奏でる現代」(上野文化会館)。ベルリン芸術週間の企画「JAPAN IN BERLIN '81」。「沢井忠夫箏リサイタル」(東京・増上寺ホール)。東京ドイツ文化センター・東京音楽企画研究所主催「パンムジークフェスティバル15東京 '81」。ストックホルムで現代日本音楽会。松尾芸能賞を受賞。「沢井忠夫 箏の軌跡」(コロムビア・5枚組)がレコード部門で芸術祭優秀賞。 |
1982年 |
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45歳 |
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東京交響楽団・日本音楽の夕べシリーズ5「箏とオーケストラの饗宴」で、一柳慧作曲「箏とオーケストラのための“ENGEN”」を初演。「パンムジークフェスティバル16東京<JAZZ & NEUE MUSIK>」でコントラバス、ドラム、トランペットの名手と共にインプロヴィゼーション。 |
1983年 |
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46歳 |
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「新春/琴名曲撰」(民音主催、神奈川県立音楽堂)で、女優の岸田今日子が「雪ものがたり」の演奏に合わせて朗読。篠崎功子(ヴァイオリン)とのリサイタル「ミュージック・イン・コントラスト '83」。「ジュネーヴの夏音楽祭」(スイス)でスイスロマンド交響楽団と共演。「沢井忠夫箏リサイタル 沢井忠夫 VS アンサンブル・ヴァン・ドリアン」で三度目の芸術祭優秀賞。「現代に生きる箏 沢井忠夫+沢井一恵全国縦断ジョイントリサイタル」(1984年にかけて、全国24ヶ所で)。 |
1984年 |
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47歳 |
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第2回中島健蔵音楽賞。自宅に作ったスタジオEsの柿落としに「太田里子先生を聴く会」。指導者育成を目指して「合奏ゼミナール」を始める。 |
1985年 |
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48歳 |
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沢井忠夫+沢井一恵ジョイント箏リサイタル「宮城道雄の世界を探る」。第7回台湾芸術祭、第5回元朗芸術祭、第10回アジア芸術祭(香港)に参加。「ネスカフェ」のテレビCM放映。作品講習会を各地でスタート。「夏休み子供コンサート」を始める。沢井忠夫合奏団「箏曲NOW」を始める。 |
1986年 |
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49歳 |
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古典の勉強会「古曲三昧」を始める。「沢井忠夫・自作自演コンサート」(ネッスル株式会社協賛、全国15ヶ所)。沢井箏曲院ハワイ支部設立。 |
1987年 |
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50歳 |
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「北の風にのって―沢井忠夫箏コンサートツアー」(道東5ヶ所)。国際交流基金・日本万博基金の協賛により「沢井箏アンサンブルTOKYO海外公演」(インドネシア、タイ、西ドイツ、イタリア、イギリス)。草津国際音楽アカデミーで箏講座の講師に。 |
1988年 |
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51歳 |
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NHKテレビ「加山雄三ショー」に出演。 |
1989年 |
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52歳 |
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民放テレビ「題名のない音楽会」に出演。沢井箏曲院創立10周年記念「箏の祭典」(国内18ヶ所、海外2ヶ所)。自作の16曲が収録されたビデオ「沢井忠夫 華麗なる箏 栄光のサウンド」(デントーアート)発売。CD「箏・沢井忠夫合奏団の世界」(コロムビア)で芸術作品賞受賞。CD「時の虹彩/沢井忠夫の世界」(カメラータ・トウキョウ)発売。ザ・サワイ・インターナショナル・コト・スクールをオーストラリアに設立。沖縄で器楽合奏曲「詩曲―響」共演。 |
1990年 |
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53歳 |
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日伊伝統音楽コンサートで招待公演。第1回邦楽アカデミー in 信州に講師として参加。 |
1991年 |
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54歳 |
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アメリカのコンサート・シリーズ「ミュージック・フロム・ジャパン」に山本邦山、沢井比河流とともに出演。「東京の夏音楽祭」(アリオン音楽財団主催)でレクチャーコンサート。パーカッショニストの吉原すみれとBBCコンサート(ロンドン)。「てんとしゃん研究会」始まる。 |
1992年 |
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55歳 |
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国際交流基金の派遣でイタリア、ポルトガルで公演。日伊音楽文化交流「音楽の虹フェスティバル」大阪大会。韓国ISMEコンサート。都民名曲サロンシリーズ「箏 こと KOTO」。オーケストラと和楽器の競演III。 |
1993年 |
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56歳 |
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ウィーン・ブダペストツアー。「お箏を弾く人もうひとりキャンペーン」始める。 |
1994年 |
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57歳 |
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沢井箏曲院創立15周年記念「箏の祭典」(国内6ヶ所、海外1ヶ所)。宮城道雄生誕100年コンサートシリーズ(文化庁芸術祭主催・国立劇場)。「JAPANESE CULTURAL MISSION FOR '94 NEW ZEALAND」出演。 |
1995年 |
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58歳 |
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国際交流基金の派遣によりアメリカコンサートツアー(3大学で5公演)。パリ市立劇場の招聘により同劇場で公演。「現代日本音楽の展開―表現の広がりを求めて」(国立劇場)。宮城道雄作品をパリでレコーディング。 |
1996年 |
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59歳 |
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八ヶ岳高原サロンコンサート。自作自演CD「讃歌」(KYOTO RECORDS)発売。熊本にて、くも膜下出血で倒れる。 |
1997年 |
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CD「沢井忠夫プレイズ宮城道雄『手事』」(仏・プレイズサウンド)を世界23ヶ国で発売。3月22日、東京・芝のabcホールで「水の変態」を一恵と演奏。4月1日、他界。享年59歳。 |